夏目三久ちゃん、どうなるの?

昨日から、有吉•夏目の妊娠•結婚の報道が持ちっきり。もっとも、持ちっきりなのはインターネットの世界だけで、テレビはどの局も完全黙秘とか。かわいい夏目ちゃんも、やる事やってたんだ。でも、何も有吉でなくても良かったのに…、とか思った。


ところが今朝になって、夏目側の事務所が、事実無根とか法的措置を取るとか言ってるとのweb報道しきり。もっとも事務所は昨日から、否定はしてたとか。有吉も、ツイートで否定を臭わせる発言をしてるとか。


ん〜。有吉が汚れるのはとにかく、夏目ちゃんが汚れるのだけは勘弁してほしいな。

五輪おわった。でも、4年ごとってどお?

終わったね。男子400mリレーの銀は、いい締めくくりになって良かった。また4年後…。


でもオリンピックのたびに、なんで4年だろうと、いつも思う。古代オリンピックの時代は、その古代オリンピックを含め、4つの競技大会があっとか。4年ごとの大会が2つで、2年ごとの大会が残りの2つとのこと。


だったら4年ごとの大会も、その2つの大会が入れ替わり2年ごとにやってた計算になる。2年ごとの大会も合わせると、毎年の様にやってた事になる。


近代オリンピックの4年ごとって、間が空き過ぎと思うことがある。確かにオリンピックの希少価値を高めるのには、役立ってるかも知れない。IOCには、商品価値の高騰に役立っていいかも知れないが、間の4間年の途中がピークだった選手にとっては、理不尽を感じるのではないか?

五輪での、公開プロポーズって、どーかな〜

オリンピックで、公衆や観客の前でするプロポーズが後を絶たないとか。私はこうした事は、あまり好きではない。なんだか、祝福を強要されてる感じがする。


こうした事はたまになら、ずーと前からあったように思う。でもホントにたまにだ。それがいつの頃からか、あちこちで見られるようになった。


最初の頃なら、相手への思いを抑えられない男が、みんなの前でなら受けてくれるかもしれないと、思い詰めてやったのだろうか。


でも今は、自分のプロポーズを脚色したい、自分のプロポーズを何かで飾ってみたい、そんな勝手な都合でやってる気がする。「おい!お前らみんな!さあ、祝福してくれ!」ってね。それって少し、うっとうしくないか?


私は、うっとうしいけど。

SMAPのファンでなくても、解散は衝撃的

私は、SMAPのファンではない。ファン層より歳も離れてるし。でも、マスコミや世間の反応を見てると、解散の衝撃は、1グループの解散と云うだけでは留まらないという印象が強い。


若い人にはピンと来ない例えだが、石原裕次郎が死んだ時と似たものを感じる。あのとき兄の石原慎太郎が、同じ頃に亡くなった美空ひばりを引き合いに出し、「裕次郎とひばりの死とともに終わった昭和」と言ったのを聞き、まさにその通りだと思った。亡くなったのが、昭和の最後の1年だったと記憶してる。


人は日々暮らしている時、自分が生きてる世間や社会を遠目に見ている。政治や景気がどうなろうが、悲惨な事件や華やかな芸能界がどうなろうが、それはみんなテレビの向こうの話。それは、今の自分に関係ない話、そう無意識に受け止めている。


それでも、SMAPの様に存在が大きくなると、ファンでなくても、無意識に受け止めてたんだなと思う。いろんな出来事や登場人物を、それぞれジグソーパズルの一つ一つのピースの様に感じながら、見てたんだと思う。そして、SMAPもそのピースの1つだったんだと。


SMAPが解散して、ジグソーパズルの額の中から、大きなピースが一つ欠け落ちてしまった。大きな穴のあいたジグソーパズルは、今後どうなるんだろう、そんな印象を、ファンでなくとも感じているのではないかだろうか。

オリンピック、女子卓球、よかったね。

女子卓球、メダルが取れてよかったね。
別段、福原愛のファンでもなんでもないけど、感情の分かりやすい子だから。負けてメダル無しになった時の、顔の痛々しさが想像できるので、見たくない映像だな〜、っとは思ってた。


女子バレー、残念だね。


バドミントンが日本人同士の対決?
オリンピックって、国別対抗じゃなかったんだっけ?まっ、国代表の他に、個人枠というのも、難民枠というのも有るけど。


ところで、オリンピックは平和の祭典と言われると、この言い方に、いつも矛盾を感じる。


平和と戦争…と言うが、その戦争の原動力には、ナショナリズムが大きく関わっているだろう。
一方、オリンピックのあの人気は、ナショナリズムに支えられてるよではないか? 国と国との戦い。あの国別という枠を無くしたら、人気も熱狂も下火になるのでは?

そして、このナショナリズムが、オリンピック人気の原動力になっているのは間違いないのではないか。バドミントンの日本勢同士の対戦と聞き、「ん?」っと思った由縁である。


IOCの繁栄は、このナショナリズムに支えられているのだと思う。それにも関わらず、平和の祭典、そう言っているのだ。

お盆で、まだ通勤電車はガラガラ

お盆が昨日で終わったけど、今日もまだ通勤電車はガラガラだ。我が家は菩提寺の都合で、毎年、7月にお寺さんがお経を読みにくる。それに、親戚も集まれない程度に遠いので、お盆だと言っても何もやらない。


だから、お盆に親戚みんなが集まって、お坊さんも来て、ワイワイと賑わうという経験が、子供のときから今に至るまでない。


なので、毎年、8月のお盆シーズンになると、なんだか世間から蚊帳の外に置かれたみたいな、奇妙な気分になる。あ〜、一度、正式なお盆行事を体験してみたい。

今日は終戦記念日。

夕べ、テレビで「日本のいちばん長い日」をやっていた。終戦記念日になると、毎年、こうした画像が流れる。でも、昨日の映像は一段と暗かったな…。
  ポツダム宣言を受諾するかどうかの、政府と軍部の混乱を描いたものだ。


見ていると、どうしてもっと早く降参しなかったんだろうと思う。アメリカは、3月の東京空襲で降参するだろうと予測していたと、何かの本で読んだことがある。そこで降参していれば、日本中が灰にならずに済んだのに、ソ連の参戦を招かなかったのに、と悔やまれる。

外国との戦争経験が事実上なかった日本には、痛手の少ない内に降伏すると云う考え等、頭に無かったのだろう。知らない、と云うことはどうしようもない。
  当時の政府に、大局感のある政治家がいなかったのが痛かった。そう思う。

今の若い人は、そんな事は、何も感じないのだろうか。聞いてみたいものだ。