SMAPのファンでなくても、解散は衝撃的

私は、SMAPのファンではない。ファン層より歳も離れてるし。でも、マスコミや世間の反応を見てると、解散の衝撃は、1グループの解散と云うだけでは留まらないという印象が強い。


若い人にはピンと来ない例えだが、石原裕次郎が死んだ時と似たものを感じる。あのとき兄の石原慎太郎が、同じ頃に亡くなった美空ひばりを引き合いに出し、「裕次郎とひばりの死とともに終わった昭和」と言ったのを聞き、まさにその通りだと思った。亡くなったのが、昭和の最後の1年だったと記憶してる。


人は日々暮らしている時、自分が生きてる世間や社会を遠目に見ている。政治や景気がどうなろうが、悲惨な事件や華やかな芸能界がどうなろうが、それはみんなテレビの向こうの話。それは、今の自分に関係ない話、そう無意識に受け止めている。


それでも、SMAPの様に存在が大きくなると、ファンでなくても、無意識に受け止めてたんだなと思う。いろんな出来事や登場人物を、それぞれジグソーパズルの一つ一つのピースの様に感じながら、見てたんだと思う。そして、SMAPもそのピースの1つだったんだと。


SMAPが解散して、ジグソーパズルの額の中から、大きなピースが一つ欠け落ちてしまった。大きな穴のあいたジグソーパズルは、今後どうなるんだろう、そんな印象を、ファンでなくとも感じているのではないかだろうか。