風車が根元から折れた。施工ミス?

強度は風速60mまで耐えられる設計だという。

それだけの強風が吹いたにしては、電柱は倒れてないし、近くの小屋も建物も倒壊してない。
駐車場の車は1つもひっくり返ってない。

根元の写真を見ると、樹木の根に相当する部材も見えないし?

ちゃんとした続報を待ちたい。

東京医科大学ニュースで思った事

それは、米国では寄付金を出せば入学できる、と聞いたこと。AO入試と少し異なる制度で、裏口でなく表口から堂々入れるとか。ハーバートとかエール大とか。

大学側の都合で選んで何が悪い、と言うのは一理ある気がする。高額寄付すれば、「入学した同期の貧乏学生の分も金を出してやった」的な見方もでき、意味なくもないかも。

日本では、それは文科省が通達でダメとはっきり言ってるので出来っこない。

ブッシュ大統領ジュニアは、寄付金で入学した様な話も聞いた、表口から堂々と。正確にはブッシュ大統領パパの息子という配慮もあるようだが。

税金を使う国立では平等であるべきでも、私立なら、恣意的に選んで何が悪い、と言ったらどんな反論が可能だろう。平等、公正だけでは説明不十分な気がする。

「産休、子育て休暇を考慮しなくて済む男子を優先して、何がいけない」と云うのは通らない世の中だが、一方でどことなく、「悪意のない正直な本音だ」と云う気がしてしまうのでは、お叱りを受けるだろうが。

「北朝鮮、核開発を継続」のニュース

北朝鮮問題は、すっかり新鮮味のないマイナー問題になったかに見える。

しかし、タイトルのようなニュースが昨日あった。でもこれって、すごくまずくないか?!
このままいくと、数分で日本に届く核ミサイルを持つおかしな国が出現してしまう。

トランプは、アメリカは、このまま北朝鮮の核配備を座視するつもりだろうか。

オバマが、中国の南シナ海の軍事基地化を、戦略的忍耐などと言って座視したように。

トランプは、アメリカに問題でなければ、日本など他の国に不都合でも構わないというのが本音に思える。

山根会長は元ヤクザってホント?!

日本ボクシング連盟の揉め事は、聞いてて腹立つことが多い。

昨日あたりからは、山根会長が元ヤクザだったとかどうのとかが加わり、話の方向が変わり始めた。

いろいろ気に入らない事が多い中で、村田のオリンピック金メダルを、俺が取らせてやった的な発言は聞きづてならぬ。

村田選手本人の手柄を横取りする事になるからだ。

山根が会長になるきっかけの会長選挙では、当初もう一人の候補者が居て、人望もあり誰もが本命と思っていたとか。

ところが本人が辞退し、無投票で山根が会長になったとか。

なぜ辞退したかに付き、あるスポーツ記者がテレビでとんでもないことを暴露した。
その人望ある本命候補者が「アザが出来て…」それで辞退したとかを、言葉を濁しながら言ってたことだ。

そのまま聞けば、「立候補するな!」と、恐喝、暴行を加え、それでその人が辞退したとしか思えない。

それがホントなら、とんでもないやつだ。

北朝鮮が対話に出たホントの理由。

金正恩が韓国に対話を呼びかけたニュースを聞き、アメリカの武力攻撃を警戒したな、っと思った。対話中に攻撃はできないからである。

アメリカの武力攻撃には、米韓の専門家でも真っ二つに意見が別れている。武力攻撃はほぼ間違いないという意見と、事実上不可能であり得ないという意見と。

北側は当然、これらの意見を収集し検討している。そして米国からの武力攻撃が、決してあり得ないレベルの確率ではない事には、気付いているだろう。

北が警戒するもう一つの理由は、ワシントンに届く核ミサイルが、完成間近な事だろう。完成し実戦配備が数機でも出来たら、その時点で米国からの攻撃は不可能になる。
例え一機でも米国本土に届いたら、大変な事になる。

だから米国からの攻撃は、未完成の今がラストチャンスなのだ。逆に北にすれば、これから暫くが、攻撃されるかもしれない最も危険な時期なのだ。

だから対話で攻撃を封じ込める手に出たのだと思う。

アウンサンスーチーと毛沢東

ミャンマーでのロヒンギャ族の虐待問題で、スーチー氏が非難され始めている。
 ただ、ロヒンギャ族の話ではない。スーチーに統治能力があるかどうか、と云う話題をしたい。

軍事政権下のミャンマー民主化が進み、スーチーが事実上、国のトップになる見通しが立ち始めた頃、彼女は国家経営に失敗するのではないか、と思った。
 民主化運動が当時の彼女の本業であり、政治は本業ではなかったから。軍事政権相手の民主化運動とは言え、政治経験がゼロである事に変わりはないから。

政治経験があったって、上手くいかない確率のほうが高い。試しに、今の日本の国務大臣10人の中から、誰かをランダムに選んで首相にしてみると分かる。多分、みな失敗するだろう。国を上手に導ける者など、ごく一部の者だけなのだから。

話は飛ぶが、毛沢東は革命家としては才能があったが、行政マンとしてはまるで才能がなかった。革命家と云うか、権力闘争家云うか、要は喧嘩は上手だった。

国民党との喧嘩に勝って国のトップになった。だが、トップの職務である国家経営の経験は全く無かった。それでも資質があったなら、次第に手腕を上げて行けたかもしれない。しかし、10年でアメリカに追いつくとか言いながら、結局失敗して、立場を追われた。

その挽回に、文化大革命を起こし、政敵を追い落として、またトップに返り咲いた。喧嘩は強いのだ。トップに返り咲いたって行政能力の無いことに変わりは無かった。

スーチーの今後には、どうしても毛沢東の辿った道がダブる。

革命闘争の才能はあったが、国家経営の才能はなかった毛沢東
 スーチーは、民主化運動家としての才能はあったのだろうが、国家経営の才能はどうなんだろう。今しばらく見守るしかない。

映画「関ヶ原」で思い出した北野武監督の話

映画「関ヶ原」は、早口セリフもストーリーの展開にも無理があるなどして面白くなかった。

それで、映画監督北野武の言葉を思い出した。
 それは、「映画はシーンが大事だ。そのシーンを撮る為に、そのシーンに合ったストーリーを作ることもある。」と言う様な話をテレビでしていた。

その時は、なるほど…、世界のたけしともなると、言うことが違うな…、とも思った。

しかし最近は、それ違うな…、と思うようになった。
 ストーリーがおかしい映画は、映画自体の出来が悪くなると思う。観てて、話が繋がらないとか、不自然すぎる展開とかがあると、途中で覚めてしまうことがある。それ…、おかしくない?…、っと。

ジブリのアニメで、「ゲド戦記」とか「ハウルの動く城」とかも、ストーリーがシックリ来なくて、楽しめなかった。

ゲド戦記では、王子が王をいきなり殺して逃亡するところから始まる。なんで殺したのかよく分からなかったから、最後まで分からない…と思いながら観てて楽しめなかった。
 ハウルの動く城では、主人公の少女が、魔法使いに老婆にさせられてしまう。でも、なんで老婆にさせられたかのストーリーが分かりにくかった。魔法使いを怒らせたからだが、それでも必然性が無く終始分かり難くかった。

やはり映画には、しっかりしたストーリーが必要だと思う。それが無いと、ストーリーに拒否感を感じ、映画の中に入り込めないからだと思う。