北朝鮮が対話に出たホントの理由。
金正恩が韓国に対話を呼びかけたニュースを聞き、アメリカの武力攻撃を警戒したな、っと思った。対話中に攻撃はできないからである。
アメリカの武力攻撃には、米韓の専門家でも真っ二つに意見が別れている。武力攻撃はほぼ間違いないという意見と、事実上不可能であり得ないという意見と。
北側は当然、これらの意見を収集し検討している。そして米国からの武力攻撃が、決してあり得ないレベルの確率ではない事には、気付いているだろう。
北が警戒するもう一つの理由は、ワシントンに届く核ミサイルが、完成間近な事だろう。完成し実戦配備が数機でも出来たら、その時点で米国からの攻撃は不可能になる。
例え一機でも米国本土に届いたら、大変な事になる。
だから米国からの攻撃は、未完成の今がラストチャンスなのだ。逆に北にすれば、これから暫くが、攻撃されるかもしれない最も危険な時期なのだ。
だから対話で攻撃を封じ込める手に出たのだと思う。
アウンサンスーチーと毛沢東
ミャンマーでのロヒンギャ族の虐待問題で、スーチー氏が非難され始めている。
ただ、ロヒンギャ族の話ではない。スーチーに統治能力があるかどうか、と云う話題をしたい。
軍事政権下のミャンマーで民主化が進み、スーチーが事実上、国のトップになる見通しが立ち始めた頃、彼女は国家経営に失敗するのではないか、と思った。
民主化運動が当時の彼女の本業であり、政治は本業ではなかったから。軍事政権相手の民主化運動とは言え、政治経験がゼロである事に変わりはないから。
政治経験があったって、上手くいかない確率のほうが高い。試しに、今の日本の国務大臣10人の中から、誰かをランダムに選んで首相にしてみると分かる。多分、みな失敗するだろう。国を上手に導ける者など、ごく一部の者だけなのだから。
話は飛ぶが、毛沢東は革命家としては才能があったが、行政マンとしてはまるで才能がなかった。革命家と云うか、権力闘争家云うか、要は喧嘩は上手だった。
国民党との喧嘩に勝って国のトップになった。だが、トップの職務である国家経営の経験は全く無かった。それでも資質があったなら、次第に手腕を上げて行けたかもしれない。しかし、10年でアメリカに追いつくとか言いながら、結局失敗して、立場を追われた。
その挽回に、文化大革命を起こし、政敵を追い落として、またトップに返り咲いた。喧嘩は強いのだ。トップに返り咲いたって行政能力の無いことに変わりは無かった。
スーチーの今後には、どうしても毛沢東の辿った道がダブる。
革命闘争の才能はあったが、国家経営の才能はなかった毛沢東。
スーチーは、民主化運動家としての才能はあったのだろうが、国家経営の才能はどうなんだろう。今しばらく見守るしかない。
映画「関ヶ原」で思い出した北野武監督の話
映画「関ヶ原」は、早口セリフもストーリーの展開にも無理があるなどして面白くなかった。
それで、映画監督北野武の言葉を思い出した。
それは、「映画はシーンが大事だ。そのシーンを撮る為に、そのシーンに合ったストーリーを作ることもある。」と言う様な話をテレビでしていた。
その時は、なるほど…、世界のたけしともなると、言うことが違うな…、とも思った。
しかし最近は、それ違うな…、と思うようになった。
ストーリーがおかしい映画は、映画自体の出来が悪くなると思う。観てて、話が繋がらないとか、不自然すぎる展開とかがあると、途中で覚めてしまうことがある。それ…、おかしくない?…、っと。
ジブリのアニメで、「ゲド戦記」とか「ハウルの動く城」とかも、ストーリーがシックリ来なくて、楽しめなかった。
ゲド戦記では、王子が王をいきなり殺して逃亡するところから始まる。なんで殺したのかよく分からなかったから、最後まで分からない…と思いながら観てて楽しめなかった。
ハウルの動く城では、主人公の少女が、魔法使いに老婆にさせられてしまう。でも、なんで老婆にさせられたかのストーリーが分かりにくかった。魔法使いを怒らせたからだが、それでも必然性が無く終始分かり難くかった。
やはり映画には、しっかりしたストーリーが必要だと思う。それが無いと、ストーリーに拒否感を感じ、映画の中に入り込めないからだと思う。
映画「関ヶ原」を観てきました。
きのう観てきました。原作は数十年前に読みました。
とんでもない駄作、失敗作と思いました。ところが興行成績は最初の2日?で3億円超で一位と聞き驚きました。
歴史上の超著名な合戦であった事、キャストが豪華であった事だけて客が集まった、そう思います。中身の無い本がタイトルだけで売れた、そのパターンかなと思いました。
早口で聞き取れない、だからストーリーも分からない、というのは酷かったですね。監督が、台詞を聞き取れなくてもいい体感して欲しい、と言ったとの書き込みがありましたが、セリフもストーリーも分からず、スクリーン上で何が起こってるのかが分からなければ、体感のしようもないという事に、監督はどう応えるのだろう。原作を読んでてもそう思った。
合戦の描写も雑だった。多くの人が言ってるように、誰と誰が戦ってるのかが分かりづらく、その合戦シーンが戦局全体の中のどの位置付けなのかも分からず、ただスクリーンが騒がしかっただけに見えた。当初西軍が押してたが、途中から東軍が盛り返した経緯とか、両軍の相当数が参戦せずにどちらが勝つかを見守りながら、大勢が決まって来てから「勝つ方に付いた」といった流れがぜんぜん分からなかったのは、観ててバカバカしくなってきた。
見終わって思わず、映画タイタニックを思い出した。タイタニックは映画の随所々々で解説が入り、スクリーン上でいま何が起こってるかが終始よく分かった。歴史授業ではないのだからとはいえ、解説や図示はもっと有るべきだったと思う。
私的には、時間と金をかえせ、ですね。とにかく、映画の中に入り込めなかった。
浅田真央選手が引退した。
浅田真央選手が引退した。
内外から、賞賛や感謝、励ましなど、概ね好意的である。
私は少数派だと思うが、残念な印象、気の毒な印象がどうしてもある。
それは、オリンピックの金メダルが取れなかった事だ。
グランプリシリーズでも世界選手権でも、多くの金メダルをとった。しかし、オリンピックの金メダルには遂に手が届かなかった。
忘れ物をしたまま、舞台を去る事になってしまった。そんな印象がある。世界選手権で5個もの金を取りながら、遂にオリンピックの金に手が届かなかったミッシェル•クワンと、ダブってしまう。
それにしても解らないのは、金妍児の事務所が、浅田選手の引退にはコメントしないと言った事だ。浅田選手は金妍児に負けて金を逃した、銀に甘んじた。
やはり、その出来事と無関係では無いのだろうか。「浅田選手の忘れ物は、自分のせいみたいになってる。私のせいでも無いのに」金妍児はそう思っているのだろうか。それとも他の理由だろうか…。
引退したら、コーチになって欲しい。そして別の姿でもう一度光を浴びて欲しい。人生は、引退後の方が遥かに長い。
18〜9才で突如トップにおどり出てきて、1〜2年後にオリンピック金を取ったら、サッと辞めて居なくなる、そんな選手が居る。そんな名前も覚えてない選手より、浅田選手の様な生き方の方が、よほど価値があるのでは無いだろうか。
森友問題の提起で、支持率を下げた民進党。
森友学園問題はどうなったんだか?…。
民進党は支持率がジリ貧で、自民は少し上がったとか。
あれを見てて、国民は「もっと、他にやる事があるだろうが。尖閣とか安全保障とか、天下国家の大事があるだろ。」
そう思ってるのでは。
100万寄付とか数億円とか、1学園の問題でしかない。民進党は、そんな小粒な問題しか扱えない政党なのか。国政は大き過ぎて扱えないのか。そう思われてると、いい加減気付けばいいのに。
去年、「幼稚園落ちた日本死ね!!!」が話題をになったが、あの書き込みには、こうも書かれていたのを知ってるだろうか↓
「不倫してもいいし賄賂受け取るのもどうでもいいから保育園増せよ。」…っと。
不倫や賄賂なんかどうでもいい。
そう、森友問題など、「どうでもいい」のだ。